どのくらい、おめでた?
年食うと考え方がひねくれてくるというか、素直になるというか、
新年を、おめでとうと言って始めるのが、いまひとつぴんとこない。
「おひらき」と言うのと同じ類のセリフで、まだおめでたいかどうか
も分からない一年を「あぁ、おめでとうと言える一年だった」と
決めつけてはじめようという意味で、「おめでとう」というのかいな
と考えてしまった。
新しい一年がはじまるということ自体が「おめでたい」と
いう意味だとは思いはするけれど、
具体的には一年が新しくはじまるのが、「どう、おめでたい」
のかと考えたりすると、体に、というか、精神的によくない。
血液型とか、そのひとの性格にもよるのだろうけれど、
きめ細かく考えるひとが、具体的にどうおめでたいのかを
考えるのは、精神的によろしくなさそう。
ざっくばらんに、具体的に何がどうおめでたいかなんかを
考えずに、
毎朝、新しい朝と目覚めた瞬間に、「あぁ、今日も一日が
あめでたくはじまるのだ!」と思えるひとにとっては、
毎日が、そう、おめでとう、なんだろうし。
仕事始めで、
「あけましておめでとうございます!」
と口にはしながらも、
「あ~あ、また、こいつと今年も仕事をするのか」
と心でつぶやくと、
おめでたいことも全然おめでたくなくなる。
ので、
「去年はこいつと一緒でえらいめにあった
けど、そういう嫌な記憶は隅っこにおいといて、
今年もこいつと一緒に、いっちょがんばってみっか」
ていうふうに、思える自分ができちゃえば、
吉とでるか凶とでるかはさておいといて、
「希望」や「期待」が単なるオブラートではない、
新しい着替えた気持ちで、一年を明るくはじめることで、
きっといいこともあるさと何かれとはげむことができるんじゃ
ないかと。
要は、新年であれ、いつであれ、本人の気持ちのもちよう
で、世の中どうにでもなりそうな気持ちで世間をシャチ渡れそう
かな?
ということで、
まずは、今年もこのブログ、ときおり手抜きしながらも
続けていける一年でありますように、
っと。
新年を、おめでとうと言って始めるのが、いまひとつぴんとこない。
「おひらき」と言うのと同じ類のセリフで、まだおめでたいかどうか
も分からない一年を「あぁ、おめでとうと言える一年だった」と
決めつけてはじめようという意味で、「おめでとう」というのかいな
と考えてしまった。
新しい一年がはじまるということ自体が「おめでたい」と
いう意味だとは思いはするけれど、
具体的には一年が新しくはじまるのが、「どう、おめでたい」
のかと考えたりすると、体に、というか、精神的によくない。
血液型とか、そのひとの性格にもよるのだろうけれど、
きめ細かく考えるひとが、具体的にどうおめでたいのかを
考えるのは、精神的によろしくなさそう。
ざっくばらんに、具体的に何がどうおめでたいかなんかを
考えずに、
毎朝、新しい朝と目覚めた瞬間に、「あぁ、今日も一日が
あめでたくはじまるのだ!」と思えるひとにとっては、
毎日が、そう、おめでとう、なんだろうし。
仕事始めで、
「あけましておめでとうございます!」
と口にはしながらも、
「あ~あ、また、こいつと今年も仕事をするのか」
と心でつぶやくと、
おめでたいことも全然おめでたくなくなる。
ので、
「去年はこいつと一緒でえらいめにあった
けど、そういう嫌な記憶は隅っこにおいといて、
今年もこいつと一緒に、いっちょがんばってみっか」
ていうふうに、思える自分ができちゃえば、
吉とでるか凶とでるかはさておいといて、
「希望」や「期待」が単なるオブラートではない、
新しい着替えた気持ちで、一年を明るくはじめることで、
きっといいこともあるさと何かれとはげむことができるんじゃ
ないかと。
要は、新年であれ、いつであれ、本人の気持ちのもちよう
で、世の中どうにでもなりそうな気持ちで世間をシャチ渡れそう
かな?
ということで、
まずは、今年もこのブログ、ときおり手抜きしながらも
続けていける一年でありますように、
っと。